過去 放浪の断片

学生時代の大半は、

私は多くのもの感情や思考を無視していました。

 

それらは日常の習慣に溶け込み、

正当か有用かも顧みられないまま、

自分の人生を支配していました。

 

私はこれを激しく後悔しています。

なぜ疑問に思わなかったのだろうかと。

 

私は高校を退学した後、山形に逃げ込んだことがあります。

一人で新幹線に乗って、あてはありませんでした。

 

ただ山形は私にとって馴染みがある場所でしたので、

ある程度地理はわかりましたし、

何より他にいい案が思いつかなかったのです。

 

 

 

私は新幹線の切符をポケットに、

高崎線大宮駅に向かいました…

 

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高崎線、列車の中、私はただ下にうつむいて、

脳内で音楽を流していました。

 

森田童子でした。

 

 


森田童子 / 06 センチメンタル通り

 

“いつかこの町捨てる時

君は笑って出てゆけるかい

思いで多すぎるこの町を
捨てることが出来るかな

 

とってもこの店
淋しくなったけど

 

今夜はあの頃
懐かしんで

明るい目抜き通り
しみじみ歩きたい気持ちだね”

 

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大宮駅につくと、私は何だかとても寂しい気分になりました。

不安にかられました。親には一応旅に出ることは告げたけど

 

何かいけないことをしてしまったような気分になりました。

それでも、もう切符を買ってしまっていましたから、

 

後戻りするわけにはいきません。私は切符を握りしめ、

改札の向こう側の雑踏へと飛び出していきました。

 

大宮駅新幹線ホームにつくと、私の胸にざわつきが生まれました。

先ほどとは違う。何か不思議と心地のよいものでした。

 

それが何かわかりませんでしたが、

これと異郷の旅路を共にすることは

中々悪くないと思いました。

 

そして、それと共に、ひとつ雑念が浮かびました。

 

勉強のことです。

 

逃避の旅をしてるというのに、

学校に関することを考えている自分に嫌気がさしましたが、

嫌々ながら、今まで積み上げてきたもの。

 

それを捨てたことに未練はないというのは嘘になります。

私は進路なんてない異邦人ですから、もう遅いのですが。

 

ですが、もう学校の厄介事を抱えながら

毎日悶々として過ごすのはまっぴらです。

 

私が乗る予定の山形新幹線400系つばさが到着し、

私は座席に腰掛け、ふぅと一息ついて、

 

流れながれる、夕焼けに照らされる大宮の町並みを

 

ぼぅとただひたすら、ひたすら眺めていました。


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